3月10日。

Kuusatsu
63年前の3月10日、東京は爆弾の雨が降り、火の海の中を逃げ惑う無数の人・人・人・・・。当時を知る人は口を揃えて「地獄だった」と言います。戦争末期、敗戦濃厚の日本にアメリカ軍が行った卑劣な蛮行。約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、罹災者は100万人をこえて、推定10万人もの尊い命が奪われました。「このようなことは2度と繰り返してはならない」あの戦争を、あの空襲を経験した人の思いと戦争の悲惨さを忘れてはいけないという若い人の熱意で毎年様々なイベントが各地で行われています。
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私の地元、深川地域はB29爆撃機が落とした爆弾が最初に着弾した地域であり、多くの方が犠牲にあいました。戦争や空襲に対する気持ちは一入で町の辻々に被災された方を供養するお地蔵さんがあり、線香の煙の絶える間はありません。またお隣の北砂地区には大空襲の悲惨さを伝える「東京大空襲・戦災資料センター」が常設されています。この時期になると、戦災資料センター主催の「東京大空襲を語り継ぐつどい」が行われ多くの方が参加されます。私も今年参加させていただきました。Dscf1722
3月10日の夜中、爆弾の雨が降りしきる中、必死で逃げまどいお父さんと妹さんを亡くしてしまった橋本さんの体験談や東京大空襲・戦災資料センターの館長、早乙女勝元さんの心に沁みるお話。また、3年B組金八先生や翔ぶが如くを手掛けた脚本家、小山内美江子さんの講演「二度とあってはならぬこと」は当時の惨状を生々しく、怒りを込めて話していた様子が印象的でした。会場には私と同世代の若い人の姿も見られ、うれしく思いました。

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江東区議会議員

赤羽目たみお