ゴールデンウイークは各地で初夏の日差しにめぐまれ、子どもたちの遊ぶ姿がまぶしく映りました。子どもは未来をつくる主人公。その健やかな成長を支えるのは社会の責任です。
孤独の背後にあるもの
心身の安全が守られ、子どもならではの遊びや学び、休息や文化を享受する―子どもには子どもらしく生きる時期が必要です。
その「子ども期」が奪われていることに、子どもにかかわる専門家たちが警鐘を鳴らしています。
まいにち家族で一緒に過ごす。そんな当たり前のことが、長時間労働などでできません。習い事や塾で忙しく、子どもたちが夕方まで戸外で遊ぶ光景もぐんと減りました。学校も競争原理がつよまり、じっくりゆっくり学ぶことが難しい。商業文化は子ども文化の形成を侵しています。
小さい時にたっぷり甘えることがその後の自立を準備するといいますが、「子ども期」をきちんと経ずに育てることは、人間を促成栽培するようなものです。
その弊害は、何より子どもの中に蓄積されています。
その一つが「孤独」です。「自分は孤独だ」と感じる15歳の日本の子どもの割合は約30%で、世界平均の7・4%をけた違いに上回っています(ユニセフ調査、2007年)。先生や親から評価されようと「いい子」を演じる、友人関係に気遣い本音を隠す―ここにあるのは、安心できる人間関係が奪われた孤独です。
今こそ、「子ども期」の保障を見据えた国づくりが求められているのではないでしょうか。
一つは子どもを育てる社会的条件の整備です。ヨーロッパにあるような労働時間の規制、低水準の保育や児童福祉の拡充等が急がれます。派遣労働の規制を骨抜きにし、公的保育制度を後退させる民主党政権の姿勢は許されません。
教育のあり方を子どもの「人格の完成」に即して抜本的にあらためることも切実です。
この間の「学力向上」策は時間割をギリギリまで増やし、夏休みなどを削りました。休みを減らすことの人間形成上の弊害が考えられていません。しかもテスト対策偏重の勉強は子どもの知性をやせ細らせています。
子どもの権利条約がかかげる「意見表明権」の保障も重要な課題です。
自分の悩みが共感されながら聴きとられる、意見がまじめに検討される。そういう人間関係は子どもの成長に不可欠です。学校や保育園はもちろん、社会のあらゆる場で意見表明権を保障する改革が求められています。
「子ども期」のはく奪に抗して、それを回復しようとする運動がひろがっています。この6月、国連子どもの権利委員会は日本の状況について3回目の審査を行いますが、「子どもの権利は保障されている」と説明する日本政府にたいし、子どもにかかわる多くの団体が異議を申し立てています。子どもたちが渡欧して子どもの権利委員会に直接意見を述べることも計画されています。
子どもの生命力信頼して
子どもは、人間らしく、子どもらしく生きることをつよく願います。私たちは、その子どもの生命力に信頼をよせながら、「子ども期」を大切にする国をつくるために、みなさんと力をあわせます。
しんぶん赤旗 5月5日より